鳥になっちゃうブログ

ツギハギだらけ人生

エゴとSNS

うちの子はかわいい。まあ多分殆どの親はそう思っていると思う。この件に関しては、私の親兄弟、夫の親兄弟、全員揃ってかわいいかわいい一辺倒である。

けれど、私はTwitterでうまくさえずれない病なので、かわいいと思ってもtweetしたりはしないしFacebookにも投稿しない。手帳に書いたり、家族の人間と話すだけだ。

自分の子がかわいいのは、要するに自分がかわいいのと同じことなんだから、SNS上で自分のエゴを出す気にはなれない。数少ないフォロワーのうち顔を知っている相手が数名いて、その人達のうち、独身の人もいるし、子どもがいない人もいるので、そういう人がtweetを目にした時のことを考えてしまうのだ。見ないかもしれないし、別に気にしちゃいないかもしれないけれど。

やっぱり自虐かオチがない自慢は面白くないから。

 

自分が独身期間が長かったせいもあると思う。長すぎたのかも。特にLINEのプロフィール画像を子どもの写真にしている人が信じられない。君は知り合いだけど君のガキとは知り合いじゃないから!!ていうかコナン君とか灰原さんみたいに縮められたの?それならわかるけど!!って強く思って心の中のその人との距離感が1万メートル広がる。

 

わざわざプロフィールを子どもの写真にするのはどんな心理からか?

と、考えてみた。

 

1)自分の写った写真がとくにないから、何百枚もある子どもの写真でお茶を濁す

2)自分のことより、今は子どもに必死なので、子ども=自分みたいなもん。

3)うちの子、かわいいっしょ。これ、自分の血ひいてます^^

 

これ、大体の人は1) か2) だと思うんだけど、どっちにしても、精神的にちょっとやばいと思う。絵本作家「のぶみ」感がある。のぶみ、ちゃんと読んだことないんですがすみません。

親なんだから大なり小なり自分を犠牲にして子どもに尽くすっていう面はもちろんあるけど、いくら赤ちゃんでも別の人間だからね。自分と子どもの境界がない状態ってかなり危ないと思う。

まあ意地悪な見方ですが、3) に受け取られるリスクもある。というか、私にとってプロフィール画像は静かに3)を訴えかけてくるものなのである。

だから全力で思う。

「子どもは、全員かわいいんや!!!目を覚ませ!!!」

 

プロフィール画像といえば、中高生の子のTwitterプロフィール画像で、2人組のプリクラみたいな画像にしている子むちゃくちゃ多い気がするけどこの認識合ってますかね。

あれも、溢れ出す10代特有の自意識と承認欲求のビームがアラフォーには大変キツく、そっ閉じします。

たくましさについて

母が私たち姉妹を育てるときのモットーは「たくましい子にする」だったらしい。

結果、どうなったか。

もし人間が「たくましい」「弱々しい」の二つに分けられるのであるならば、私などでも一応「たくましい」の側にいる人間になった気がする。

妹はたくましさの塊みたいな人間である。

 

だけど最近、鏡の前で、髪をくくる時、思い出すことがある。

中学の同級生、Hさんのこと。

中学卒業以来まったく連絡を取っていないし、友達の友達、とかでもないので、今はどこで何をしているのか知る由もないHさん。

活発なタイプで、バレーボール部だったHさん。

Hさんの髪は、めちゃくちゃ少なかった。1つくくりにした束の総量が、私の2つくくりの片方か、それ以下だった。産後、髪のボリュームがめちゃくちゃに減ってしまった私は、あのころのHさんの毛束量を思い出してしまう。うん、減ったけど、Hさんよりはまだ多いな..みたいな...

(失礼千万である。)

 

ところで、Hさんのことは、当時、どちらかといえば嫌いだった。

なぜか。

それは、彼女が男に対して「嬌」を作るタイプだったから。

私は彼女のそういうところが嫌だった。「女子の前ではもっと声低いやん?何なん?アホみたい。」と思っていた。

彼女は人気のある男子の前では「女」をバンバンに出していた。

彼女も私のことが嫌いだったのではないかと思う。多分、私が彼女を嫌っているのがどこか態度に出てたと思うし、話も合わないしで。

 

でも、今思うと、私は羨ましかったのかもしれない。

男子の前で”しな”を作ってキャアキャアやって楽しそうだったことが。

たくましさ至上主義の家庭で育った私は、「女」を出すやり方なんて、これっぽっちも習っちゃいないからね。

彼女の少ない髪も、そこがなんだか「女らしさ」みたいに感じて、羨ましかったのだろうか...。

 

おいおい自分よ。中学のころの自分。ちょっとこっちへ来なさい。

もっと羨ましがる対象が他にいただろうよ。才色兼備な子が!!

なぜあんな子が羨ましかったのか.... バカすぎる....。

やめてくれよ。底が知れるぜまったく...。

 

私は、母から、異性の目線を気にしてふるまうように言われたことは一度もない。

例えば、スカートででんぐり返しはするなと注意されたことはあると思うけど、それは「その場に男の子がいるから」という理由では決してなかった。

Hさんはどうだったのだろう。母親にどういうふうに育てられたのだろう。異性の前では女の子らしくしなさい、なんて教えられたのだろうか。それとも、思春期になり自ら学び取ったのだろうか。そこは訊いてみたい気もする。

 

私は私の育てられ方や、思春期の頃の葛藤、おとなになってからも、全部含めて人生これでよかったと思っている。

だから中学の頃の自分よ。もっと堂々としてたらいいんだよ。

 

うちの1歳児は男の子なので、もちろんたくましく育ってほしい。

だけど、「男らしさ」を押し付けないようにもしないとな。

どんな環境にあっても、堂々と生きていってほしい。

 

それだけ。

ラブ・ストーリーは突然に

どういうきっかけか知らないが、夫がAmazonで「東京ラブストーリー」の古本全4巻を注文し、「おもしれー!」って言いながら一気読みしていたので、私もうらやましくなって読んでみた。

この漫画がその昔、織田裕二鈴木保奈美でドラマ化されたのはもちろん知っていたけれど、小学校高学年の頃だったので(歳がばれる)、親に見せてもらえなかったのだ。同級生は見ている子が多かったような。母は絶対見ていたと思う。私たち姉妹が学校に行ってる間に見てたのか、われわれが寝静まった後に見ていたのかは分からないけれど。

あまりに有名な作品なので、読む前から鈴木保奈美織田裕二江口洋介なんかが演じていたという薄い知識だけはあった。だから絵柄を見ながら実物の俳優の顔を連想してしまうという邪魔は入ったが、面白くて私も一気読みしてしまった。

いやー。若いね。

登場人物の23歳から2、3年間くらいの出来事を描いているので、小学校高学年だったときには”見てはいけない”くらい大人の物語だったのが、もう随分昔に通り越してしまっている。だから登場人物がみんなかわいいなあと。リカのメチャクチャさもかわいいし、長崎さんもかわいいし。昔見ていたらどういう感想を持っていたのかな。当時見ていた同級生に今度訊いてみよう。さすがに覚えていないかな。

こういうふうに、同性・異性にかかわらず、感情をぶつけ合ったり、誰かと気持ちが噛み合わなくて苦しんだりするって、若い頃の特権なんだな。って今は思うけど、渦中にいるときは苦いばかりで、若いっていうのはずいぶん辛いものだったよな。23歳とかだとまだ感情がコントロールしづらくってみずみずしかった気がする。

いつの間にか私も大人になった。すべてにみずみずしい心で向かい合ってはいられない日々ではあるけど、誰かのみずみずしさを馬鹿にしないで、良いなと思える人でいたい。

 

あと読んでいてやはり感じたのは、作品中の台詞がレトロだなということ。いまだったらこうは言わないな、という台詞に溢れていた。携帯電話もメールもないから電話が頻繁に鳴っていたり、ポリコレ的にグレーな表現があったり、そういう点でも面白かった。30年も経つんだから当然か。平成をまるまる生きた自分の人生の時間を実感できて、味わい深く大変おもしろかった。

 

当時、ドラマは見ていなかったけど、大流行していた小田和正の名曲「ラブ・ストーリーは突然に」はラジオやカセットテープでよく聞いたものだった。

以前、テレビ朝日の音楽番組「関ジャム」で、あの曲を弾いているギタリストの方が出演していて、あの出だしは「トゥクトゥーン♪」ではない。という話をしていた気がするけれど。あの出だしは、心臓が高鳴って、恋が始まることを表した中では世界一のリフなんではなかろうか。対抗するフレーズがあったら是非聴いてみたい。

夫が聴きたいというのでApple Musicで探すと、クリス・ハートver.があったので早速聴いてみた。ほとんど原曲に近いアレンジだったので、当時の雰囲気を蘇らせるには充分だった。あのころのバブルな時代性と、まだ若かった父や母や妹、住んでいたマンションの部屋、テレビボードやソファの感じ、車の中で後部座席から見ていた両親の後ろ姿、通学路の田んぼ、一緒に登校していた友達、赤いランドセル...。次々に心に浮かんでくる、子ども時代の記憶。

 

たまにはこういうセンチメンタルも良いね。

マジック4と新井さん

ほんのりせつない夜。

今宵は広島カープヤクルトスワローズに勝ってマジックを4に減らし、今季限りで引退を表明しているカープ新井貴浩選手にとって、現役最後の神宮球場での試合となった。

2016年春から広島に住み始めたわたしにとっての新井さんは、まさにカープそのもの。初めてファンになった野球選手であり、誰からも愛されるその人柄や、がむしゃらなプレースタイルに感動と癒しをもらった3年間だった。
 
9月5日の引退会見は、広島では各局が緊急特番を組んでノーカット放送をやっていたので色々見た。晴れやかな表情で、カープへの愛情やファンへの感謝の言葉を述べる新井さんは、本当に仏さまのようだったなあ。
 
みんなの大好きな新井さん。今日は代打でフォアボールだった。
ヒット打ってほしかったけど、まだまだ試合は残ってるし、来週のマツダスタジアムで打ってくれたらいいなと思う。
 
優勝の瞬間は今年も絶対に見届ける。新井さんの胴上げあるだろうなぁ^^
もし22日だったら現地観戦だから最高に嬉しいけど、もういつでも良し!
 
広島FMの番組が実施したアンケートで、「優勝の瞬間は家で見る?みんなでワイワイ居酒屋で見る?」っていうのがあって、結果は家派が多数だった。
 
 
確かに、現地1番、家のテレビが2番かも。
ビール在庫は準備OK!!

Twitterでは上手くさえずれない

Twitterは沼だ。興味深い人のつぶやきを遡っていくと、どんどん時間が経っててびっくりする。特に寝付けない日は熱中して読んでしまう。昨夜もそうだった...。

最近よく見ているのは、育児中ということもあり、やはりを子どもをお持ちの方々のツイート。共感したり、発達障害のお子さんや医療ケア児をお持ちの方の頑張りに脱帽したり。うちの1歳児はこれから発達凸凹が強くなるのかそうでないのかまだ分からないけれど、早めの療育が本当に大事である、とか...日々学ばせてもらっている。

だけど同時に、どうやったらTwitterを見ないで過ごせるかというのも課題で、だからこのブログを始めたといっても過言じゃない。人のつぶやきで勉強するのはいいけれど、見れば見るほど自分が賢くなるのかというとそうじゃないから。ザッと見るのに留めておかないと際限がなくて、Twitter酔いのような状態になってしまう。だから、ちゃんと書籍になったものを読んだり、自分の頭で考えて表すことに時間を振り分けたいと思うようになった。私の場合は、思考することとtweetの内容を140字で考えるのはなんか別物というか、何度も推敲したりして、でも140字ではちょっとやっぱり言い切れないし。ってことが多くて結局書くのをやめてしまう。どうやら私はTwitter向きじゃないようだ。

Twitterは、その名の通り、鳥がピヨヨヨ、ってさえずるような、おはようとか、空が綺麗とか、仕事だるいぜとか、3秒くらいで言えちゃうセリフをつぶやくが本来の仕様なのだろうと思う。ズラズラとツリー状に書き連ねるtweetを追うのも好きなんだけど自分でそれを書こうと思うとめちゃくちゃ時間かかるのよね。ホントtweet向いてないわ...みんなすごいわ...。

まあ、きっとこれからも合間合間にスマホTwitterを開いてしまうのだろうけど、ここ数日は、ブログを書いてアウトプットしているおかげか、頭がスッキリしているような気がする。本来、鳥になって好き勝手さえずるはずのTwitterではうまくさえずれないという辛い現象に耐えきれず、はてなブログに逃げてきて息がしやすくなった。フォロワーさんとかもいるわけじゃないから読み手を想定しなくていいし、でももしかして誰かに読んでもらえて、ちょっとでも共感したり面白いと思ってもらえるエッセイになってればこの上ない喜び。とりあえず3日坊主は脱したから、最低1ヶ月続くように。そしたら習慣になるかな?

Twitterより書くのが楽しくて、とても自由になれます。いいねブログは。

鳥になっちゃってる。

ツギハギだらけ人生

何でだろう、2015年に会社をやめてから、なぜだか自分は宙に浮いてるというか、結婚・二度の転居・妊娠・出産・育児ときて、流れされるまま生きてる感じがずっとある。

もし東京にいたならば、結婚しても妊娠しても、たぶん会社はやめてなかったし、今も産前産後休暇→育児休業中ってことで、宙に浮いてる感じはなかったはずだと思う。やはり、どこにも所属していないフリーランスの状態っていうのが、そのフワフワ感の源流なのだと思っている。

会社員生活9年目に入ったときに結婚を決めて、夫となる人の仕事の関係で転居になることがわかったので、会社を辞めることになるというのは、11ヶ月くらい前からわかっていた。だけどもともと、10年勤めたその会社からは、そろそろ転職したいなあとは思っていた。その会社ではわりかし経験積めたという実感もあったので。給料も低かったし。

その状態から3年半経ってしまった。「しまった」というほどの悲壮感でいつも生きてるわけじゃないんだけど。

会社やめて、その欠落感がピークに達したのは、ちょうど半年後くらいだった。あとから考えたらちょっと鬱状態だったのだと思う。その頃から比べたら精神的には元気だと思うけど、いまでもやっぱり埋められない寂しさみたいなものがある。あるね。うん。

転居の後にも、元いた会社から仕事を請け負ったこともあったし、広島にきてからはプログラミング教室でバイトをさせてもらったこともあったし、自分でセミナーを開催したこともあったので、それなりに仕事もちょこちょことやらせてもらっているのだけれど、どうしても、フルタイムワーカーだった頃を懐かしく思ってしまう。

 

夫は私のことを頼りにしてくれる人なので、いずれまた私がフルタイムで仕事をするつもりだと思ってるし、実際私ももちろんそのつもりでいるのだけど、「何を」するのかが実にフワっとしている。未来予想図が、キチッと設計されていない。本当は今それをガシガシと構築していかないといけないのに、育児にかまけて、気合が足りていないと思う。意識低い系主婦になってしまっています。へへへ...。

 

とはいえ、1歳児を育てるのは毎日とても楽しいし、家事に追われて未来をあまり考えないガチャガチャした日々は、独身の時に描いていたよりも笑いに溢れていて、じつに幸せである。

このままツギハギだらけ人生を送っていくんだろう。

それもまた良いのでは。と思う今日このごろである。

 

 

ひとつなぎの大財宝

しつこい夏風邪である。

8月下旬に関ジャニ∞の大阪公演を見に行って、エイター仲間と一泊して帰ってきてからずっと風邪が治っていない。最初は喉が痛くて、鼻水くしゃみが止まらない状態になり、その後はだいぶ下火にはなっていたのだが、節々が痛く、昨夜からゼエゼエ咳が出て胸が痛むようになってしまったので、慌てて耳鼻咽喉科を受診した。

痰が喉のほうに降りてきてるとのことで、薬をもらった。

 

で、ここからが本題。

せっかく耳鼻咽喉科に行ったので、1歳児の耳の中の掃除をしてもらった。

「結構詰まってるね〜」。そこはわりとハイテクなクリニックで(いまや耳鼻科はだいたいこんな感じなのか?)、先生のデスク上の画面に息子の耳の穴の映像がうつるのだが、ピンセットみたいなので先生がつまみ出す手技が早すぎて、さらに息子が必死で動こうとするので耳垢が画面からはみ出したりしてあまり見えなくて残念だった。しかし、前から気になってたので、自分の耳ではないのだがスッキリしてうれしい。

耳鼻科行かなきゃな〜と思ってたけど1年かかっちゃったな....。風呂に入れたあとに2日に1度くらいは耳の入口だけ綿棒でクルっとやっているがそれでは絶対取りきれてない確信があったのと、母から聞かされてきた私自身のエピソードがあったから。

私は2歳のときに初めて耳鼻科で耳垢を取ってもらったらしいのだが、なぜ母が私を耳鼻科に連れて行ったかというと、ある日耳が聞こえなくなった(!)から。これは母の大好きな話で、耳タコなんであるが、母が言うには、私が嫌がって取らせないため、耳垢が溜まりすぎて、ある日突然呼びかけても反応しなくなったそうな。病気かも?と思って耳鼻科で診てもらうと、ズボっと耳栓みたいな形になった耳垢が取れた、といって笑いながら話すのがお決まりである。

 

30数年前の、ひとつなぎの大耳垢。

耳栓になるほど溜める前に耳鼻科に行けてよかった。

 

今日行った耳鼻科はクリニックビルにあり、同じフロアにかかりつけの小児科もあるので、ハシゴして、肺炎球菌とヒブ予防接種ワクチンも打ってもらった。

今日という日は、何かと看護師さんに押さえつけられる一日で、息子はたいそう消耗し、帰ってごはん食べて昼寝は爆睡していた。

私も昨夜は咳で眠れなかったので、のちに合流し爆睡。

夕方、息子は先に起きてベッドから降りて、おもちゃ棚のところで遊んでた。

頼もしい1歳児である...。(私がダメ母なだけである...。)